入見神社の石碑と彼岸花
入見神社の境内に大きな石碑があります。前の戦争の記念碑で、戦没者を祀るものです。私が石碑にまつわる雑草や雑木を刈り取ったので、すっきりしたと思います。ま、暇な年寄りだからね。
ちょうど、この時季に境内には彼岸花が満開になっていて、楽しませてくれました。
入見神社のこと
私たちの住居は南知多町内海中之郷地区にあり、すぐそばに入見(イルミまたはイりミと読む)神社があって、それは境内の面積だけでも500坪はある広大な神社です。平安時代には現在の土地に存在したという記録があり、それ以前は言い伝えになりますが、往時は神社の入口まで海であって、境内は船の形をしていて、それ以前は近くの高い山の頂上に小さな祠と共に祭られていて、船の守り神とされていたようです。そういう古い歴史があるので、この神社は現在では持ち主ないし管理者がおらず、中の郷など3地区がボランティアで管理・掃除・祭礼作業をしているという形になっています。
なにしろ敷地が広いし、20mの高さのブナ、杉が何本もあり、落葉集めだけでも時間がかかって大変です。9月10日に中之郷地区担当の神社掃除があって、それには参加しました。参加者は20人ほどでしたが、境内の地面の掃除をしただけです。17日にも番場地区担当の掃除がありましたが、それは10人ほどの参加でした。
慣れない素人集団の掃除(熊手、鎌など使用)だけでは全然手付かずに終わるのがいつものことで、小さな祠などはもっと丁寧な補修があるべきなのにそれはプロの仕事であり、それを要求するのは無理というものです。そこまでで精一杯という感じです。
なにしろ敷地が広いし、20mの高さのブナ、杉が何本もあり、落葉集めだけでも時間がかかって大変です。9月10日に中之郷地区担当の神社掃除があって、それには参加しました。参加者は20人ほどでしたが、境内の地面の掃除をしただけです。17日にも番場地区担当の掃除がありましたが、それは10人ほどの参加でした。
慣れない素人集団の掃除(熊手、鎌など使用)だけでは全然手付かずに終わるのがいつものことで、小さな祠などはもっと丁寧な補修があるべきなのにそれはプロの仕事であり、それを要求するのは無理というものです。そこまでで精一杯という感じです。
(入見神社の写真・説明が豊富にあるサイトです)
小さな祠は幅・高さ1メートルくらいで、男神5人女神3人が祭られていて「八王子神社」とも呼ばれた時期があったようですが、その小さな祠は6つ程度しか残っておらず、一つには木の株だけになっていました。
住民の善意の管理作業だけでは手に負えない神社は、そのままではいつまで持つのか想像もできません。公的資金や人をつぎ込むのは宗教的施設としてなかなか難しいようで、中央でも問題が起きています。しかし、この場合は宗教的色彩はとても弱く、地域の産土神社、鎮守の森のような位置づけになろうと思われますが、これ以上のことは私の手にも負えない領域になります。私も高齢であり、草刈り作業の刈払い機を振り回すのも疲れるようになりました。
時の流れに任せるしか手段はないのではないか、という悲観的な観測しかありません。
住民の善意の管理作業だけでは手に負えない神社は、そのままではいつまで持つのか想像もできません。公的資金や人をつぎ込むのは宗教的施設としてなかなか難しいようで、中央でも問題が起きています。しかし、この場合は宗教的色彩はとても弱く、地域の産土神社、鎮守の森のような位置づけになろうと思われますが、これ以上のことは私の手にも負えない領域になります。私も高齢であり、草刈り作業の刈払い機を振り回すのも疲れるようになりました。
時の流れに任せるしか手段はないのではないか、という悲観的な観測しかありません。
秋雨前線か、雨続き
住宅地を流れる内海川。河口よりも1キロ程度上流ですが、この撮影時は干潮時ですが、満潮時は海水がどこまでも遡って地面道路から川の水面まで1メートル程度までに達します。
このように濁っていますが、満潮まで海水が遡り、濁り水も上流に戻してしまうのです。ですから、干潮を数回繰り返して川の濁り水を(このように川底が干上がるまで)海に流しださないと河口の濁りがなくなりません。濁っている海岸・河口では釣りができないので、しばらくは釣りはお休みです。
岸辺ならどこでも釣れるとお考えでしょうが、実はフリーで車を駐車できる場所はあまりなくて、ほとんどの駐車場は1日千円駐車料金を払わされるので、町民の私はそんなに払えないです。ただ、名古屋などからの釣り人はそれくらいは大した負担ではないようです。釣はレジャーなんでしょうね。私のような暇つぶし兼趣味ではないようです。
この写真あたりでは50年前に豪雨と満潮が重なったようで、床上浸水、床下浸水500世帯という被害がありました。その後、鉄の水門が2か所できましたが、上流からの雨水と海からの満潮との関係で、水門を閉じる判断は難しいようです。
とにかく晴天が続いて、雨水の濁りがなくなり、底まで澄み切った川になってほしいです。
栗の実 終活
9月も11日になったので、秋らしい絵を見つけようと歩いていたら、近所の庭からはみ出ている栗の木の枝に大きな実が付いていました。
民家では栗の木は珍しいですが、柿の木はほとんどの民家にありました。
さて、終活とはとても大きな問題なのですが、実際にやったことは自分の中の情報整理で、パソコンに刺して残してあったUSBメモリの画像を削除していくことでした。このあたりの構造はよくわからないのだけれども「使用領域」の残りが小さくなっていたりするので、それを増やすのに画像候補を一つずつ削除してみました。すると、小さな画像でも4個5個で1MBほどのサイズになることがわかりました。「使用領域 : 694MB / 1000MB (最大1GB) 」もう少し増やしてみます。
その他にパソコンのトップ画面にも画像ファイルがあるのを、家族の画像だけを残して、ほとんどを削除。もう、残りの寿命も長くないので、閲覧しないだろうと思われる画像を消していきました。
ここで私の偏見なのですが、現代は人は長生きしすぎているのではないか。80歳くらいでも長寿と呼ぶべきだ。現実には私は来年2月には78歳になるので、残さないでも不自由しないと思う。
このようにメモリ内の画像を削除して気づいたのは頭の中もメモリの中も画像のネット(網)が混線していて、それがメカニズムを不調にしているのではないだろうかという仮説です。それで、密な画像ネットを少しでも疎にしてパソコンの様子を見てみようと思ったからです。
全くの素人判断ですが、現実にはパソコンと私の脳の動きはとても軽快に動くようになりました。あまり人には薦める自信もないです。しかし、新品に買い替えようかと思っておられるのならば、ものは試しです。以後、自己責任でお願いします。
(このブログも一時、画像が消えていました。この後のブログと同じように新しい掲載用意の候補を削除してしまったからのようでした。ミス続きをおわびします)
貴重なお客さま
私の家は南知多町の住宅街の中にありますが、高齢者夫婦だけなので、訪問者もほとんどなくて、変化のない退屈な日々を送っています。その退屈さを救ってくれる訪問者が猫たちです。
隣の家の独り住まいのおばあさんが飼育している猫、それから野良ネコたちが毎日のように、玄関に来てエサクレと鳴きます。最近は餌も手渡ししても受け取ってくれるようになりましたよ。
まぁ餌は肉類魚類が好物ですが、竹輪が「ネコ跨ぎ」だったのにはちょっとびっくり。それは後で食べてもおいしくはなかったですが。
ところで、パソコンの不調は続いていて、今は画像を入れたら新しい発言(書き込み)ができません。(文字数が10万字以内で、という注意が出続けます。こんなご経験、ありませんか。