園部のこと、農業以前
いきなり、園部という地名を思い出したのですが、20代の初めの頃に数年過ごした記憶があり、もう50年以上前のことなので、今からその地名を検索しても、その現状は過去の記憶からはるかに変わっていて、これまた過去の幻想のようにも思えます。しかし、生徒は私の歳からは数年しか下なので、生徒の方が歳下の友人のような関わり方であって、楽しい時季だったという記憶が残っている。
20代の初めというのは、どこで何をしていようとも、一時的な過ごし方であり、その後を長期的に生き続けるスタートではないだろうので、強い記憶としては残っていないが、このあたりで方向を間違えたのかも・・・とおもえることがある。
園高(えんこう)とは園部高校のことで、そこで教員をしていたのだが、将来も教員を続けようと考え始めていたが、数年ごとに転勤赴任地が変わる公立ではなく、私学のほうが転勤が無くて勤めやすいだろうと、その後、南山高(南山大学付属)を選択した。これが選択ミスだと1年も経たずに気が付いた。自分には合わなかった。むしろ数年ごとに転勤がある公立の方の「変化」が自分には選択史としてよかったのではないか、というものだ。30歳くらいに農業の道を歩き始めたのだが、そのまえの5年くらいは、中堅の印刷会社での管理職を務めた。直属の部下も4,5人いて、仕事を部下に配分、助言指導するのが仕事だった。そこも快適な職場だったが、農業をやろうという理由で簡単に離職を許可されて多額の報奨金をいただいたくらいだった。
こうして農業の道を歩み始めた。(続く)
2023-05-30 11:36
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コメント(2)
振り返ればあの人この人。
ご縁の濃淡。
日々が早く過ぎます。
by 夏炉冬扇 (2023-05-30 20:45)
人生にはいろんな帰路が有りますね。私も農業に憧れたこともありましたが基本点に農家ではなく、山を切り開いて....なんて夢でした(>_<) ミカン畑を作られたのは財産かと(^_^)v
by yokomi (2023-06-08 20:45)