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駅はシャッター通り・ツツジなど

 
 季節が移りつつあります。桜・桃が終わって、躑躅(つつじ)が咲き始めました。ここでツツジとサツキの違いを覚えましょう。ツツジは(4月中旬から5月中旬まで)・(オシベが5本以上つきます)、サツキは5月中旬から6月中旬までの「後咲き}で「オシベは5本だけ」です。サツキ(5)が5本と覚えましょう。

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 フジの花も咲き始めました。
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 23日の日曜日は朝から雨になって、午前中はそばの入見神社の外周を傘を差して歩いただけです。駅の側の大衆食堂で昼は親子丼¥750を食べただけ。外食は週に数回ですが、それも楽しみの一つなので、家で一人調理をして食べるのとは違った雰囲気です。ただ、食堂は他にはなく、ここ一つだけなのです。観光客向けの海鮮料理店はあるのだけれど、価格など敷居が高いので使ったことはありません。他にはモーニングコーヒーをいただいている2軒

の喫茶店があるだけです。。

 更に、タケノコが出始めていますが、収穫は農家に頼んであるので、切り落としていくだけです。

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 内海駅周辺がシャッター通り
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 町の唯一の鉄道駅、名鉄内海駅は外への玄関でもあり、町への入り口に当たると思うのですが、

 それが写真のようにずらりとシャッターが下りていて、開いているのは改札口正面の喫茶店だけです。駐車している車も少なく、自転車駐輪場もガラガラです。国全体が人口減に向かい、1年で64万人減少したとの報道がありました。東京都で約5万人が減少しています(前年比)。
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 先進国で面積の狭い日本ではいつまでも人口増が続くのはおかしいですが、まずは「現状維持」の横ばい状態かと思ったら、いきなりの減少でした。東京の場合は都心から周辺への移動のような報道もあり、都心の過密・住宅費の高騰・景気の低迷で収入が上がらないなどが原因と指摘されています。
 
 東京がそのような状態なら、地方でも玄関がシャッター通りになってもちっともおかしくはないですが、あなたの町はどうなっているのでしょうか。個人としては、町や国の動きに出来ることは何もなくて、このようにただボヤくだけです。
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ツバメを4月20日に見た

 今年初めてツバメの到来を見ました。まだ数が少なくて、デジカメを構えている時には来ないので、うまく撮れません。冬は東南アジアで過ごして、日本で子育てをして、また東南アジアに子供を連れて帰っていくようです。ずいぶん長い旅だなぁ。暑くても南の方で育児も続けたらどうか、などと怠惰な私は考えてしまうのですが。

 しかし、ツバメは人家の入り口の天井あたりに巣作りします。これはヘビなどから卵を守るためで、人もその役割を果たしているようです。それくらいのことでいいのなら、当分は移転しないので、せいぜい利用するといいですよ。

 大正時代に建てられた古い家なのだけれど、太い柱や梁が頑丈そうだから、まだ数十年は大丈夫だろう。私は77歳だが、100歳まで生きたとしても十分保つのではないだろうかとの推定だ。そもそもが家賃月1万円の借家だったのに、「200万円で買ってくれ」と家主に頼まれたのが始まりなんで、成り行きでこうなってしまっただけ。深い考えなんてないです。それで、家の補修作業はまだ続いていて、足場やネットが道路を狭くし、家の景色をさえぎってしまっています。4月いっぱいだろうとは当初からの予測でした。屋根瓦も拭き替えたので、「豪雨くらいならしのげるだろうし、大したことが起きないように祈るだけです。



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なかなか進まない工事中に来客



  故郷からの友人訪問

 11日・月曜日の朝、10時45分くらいに内海駅で私が迎えたのは田中さん(仮名)。彼は私とは小学校以来の同級生でそれ以後も長い付き合いが続いていたけれども、私が知多半島に住むようになってからは30年以上会っていなかった。
 ちなみに、通学圏が広がった中学校の同級生は3学級100人。もう会うこともないけれども、その同級生たちの近況をとても知りたかったので、会って消息を聞くのがとても楽しみだった。田中さんは私の故郷でもある四国徳島県南の小さな漁村に今も住んでいて、月に数日大阪の文化センターの講座を受けるために本州に渡っているとのことです。

 話は前後するのだけれども、田中さんからの同級生の消息は極めて少なかった。徳島の故郷で会えるのは2,3人に過ぎなかったようだ。私の記憶では100人のうち、中卒で世の中に出たのが7割で、高校進学者は30人、そのうち大学まで進んだのは私を含めて7人だった。貧しい漁村だったし、昭和30年代の第二次世界大戦・太平洋戦争の敗戦の余韻が残っていた時期でもある。それで、中学校しか出なかったのは、学校の成績でなく、家庭の経済事情だったので、これらの友人たちのその後の暮らしがどうなったのかを知りたかった(その中にはしっかりした人もスポーツ万能の人も芸術センスのある人もいたし)のだが、田中さんによれば、関西に出た仲間の消息はその後得られない、そこで職を得て相手を見つけて家庭を作ったケースがほとんどで故郷への音信は無いとのことだった。

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 (同級生の例外のような大学まで私が進めたのは、高校在学中に大学進学後の「特別奨学金」の国家試験に合格していたからで、その額は4年間の学費・生活費を賄うに足りる額だったからだ。ただ、大学卒業後に大学付属中・高校で英語教員の職を得たが、私の長年の持病中耳炎難聴で健康が維持出来ずに3年で退職し、その後10年くらい小さな町工場を転々として、その後農業の道に進みました。)

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 またまた話は前後して、複雑な展開になってしまうのですが、田中さんと出会った11日は内海中之郷(うつみ・なかのごう)の家は工事中であって、瓦の葺き替えに続いて、外壁・室内壁の工事が続いていて、ずっと昼間は部屋にいてはトンカチが響いていて、とても居られないので、山の畑などに避難していたのだが、11日の昼は私の料理はこれしか出来ない肉入り野菜炒めと焼き魚、お湯を注ぐだけの味噌汁をランチにした。田中さんをそのあと山の畑、それから海岸へ案内し、海辺で少し時間を過ごしたり、海が見える喫茶店で時間をつぶした、というのも、この町は小さな観光地とは名ばかりで、海という景色のためと水泳のためだけの観光地なので、町の中さえうろうろする場所さえない。町に古い寺があるといっても、奈良や京都の東大寺、清水寺、八坂神社を知っている人たちには案内できない。農場にも寄ったら、長女が私の古い友人に興味を持ってあれこれ長い質問をしていた。私に友人などは滅多に来ないし。それから早めに帰宅して、ゆっくりお話を伺うことにして、夕食はテイクアウトの海鮮弁当を私、連れ合い、田中さんの3人で話しながら食べたのだった。
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 夜、休んでいただいた部屋だけが畳敷きで、他の部屋は下足で上がる作業中の部屋という客人には失礼な状態だったのだ。ただ私の頭の中は家の工事だけでなく、11日の午前には浄化槽の清掃予定が入っていたし、風呂が故障して使えないことが夕方になってわかったので、風呂抜きになってしまっていた。(これは後になって灯油タンクがカラになっていたので、翌日の午後にGSに満タンに給油してもらったら普通に加熱できた、とトラブル続きであった)。12日の午前10時過ぎになって、田中さんの翌日のスケジュールもあって、内海駅まで送ることになったのだが、実際、私の頭の中ではずっと混乱しっぱなしだったわけだ。とは言え、そういう様々のトラブル事情も理解していただいていて、有意義な訪問であったと感じていただけたようだが。それにしても、工事の足場やネットで狭い道路が更に狭くなってしまって、通行に迷惑を掛けていることにも、住んでいる私にもストレスになって居続けているわけだ。

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 お土産にいただいたのが、これ。
 「貝付き味付き・流子」(ながれこ)。普通の言葉では「とこぶし」と言っても、わかる人がいるだろうか。アワビの仲間でその小さな形のもの。故郷の町でしか缶詰でも手に入らないという貴品だ。田中さんは家の工事が終わっているだろう6月にまた来たいと言ってくれた。私の方が故郷に戻っても当たり前なのだが、同じ年齢なのに、私の方が老化が進んでいるようで、長距離旅行はできそうにないです。それでもアッと言う間に終わってしまった出会いだけれども、私も楽しい時間が持てたし、田中さんにもいい時間を過ごしていただいたと思っています。その後に町内の知り合いにトコブシの殻を見せたところ、この町でも採れるということだったが(漁業権の制約あり)、私は知りませんでした(ヒャァー、いつの間にか私は世間知らずになっていた)。


 このブログだけは書き続けていますが、お読みになってコメントをいただけるのが少ないので、facebookからの「友達申請」を承認しているのだけれど、そしてfacebookにもブログのコピーを出しているけれど、少しも読者が増えませんね。動画は容量が多いので、youtubeやinstagramにはアクセスしないし、もう高齢なのであれこれ視野を広げることができなくなっています。ジリ貧だね。


 友ノ遠方ヨリ来タルアリ亦楽シカラズヤ                        4月16日


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落花盛ん・畑草刈り

 DSCF0004.jpg 桜が散り始めました。つぼみが膨らんでから20日ほどです。葉桜まで楽しませてくれました。

 DSCF0002.jpg 山の畑の竹林の伐採ですが、このように1平米に50本近い竹が伸びています。

 DSCF0003.jpg このように切って行き、その先の枝を取り払って、長い20m近い竹を崖下などに落とします。竹の先は燃やします。

 DSCF0005.jpg ミカン苗木の根元の風よけの飼料ネットをはずして、伸びた雑草の草刈です。

 DSCF0006.jpg 2ラウンド給油が必要でした。ずっと腰が痛いのですが、なんとか終えました。

 さて。運転免許証が更新になるのは来年1月で、それを過ぎると更新しないので、この山の畑には車では来れないことになりますが、この後は草刈りは年2回程度にしますので、なんとかなるでしょう。運転には必須なのに、視力の低下、反射神経の衰えを感じるので、78歳での運転停止を決めたんです。これは人それぞれでしょうね。そうでなくても、これらの作業は激しくて、高齢者の私にはもうできそうにないですし。


 DSCF0001.jpg 付録の家猫です。他に子猫が生まれたばかりのようですが、5,6匹はいるみたいです。農場本部の建物の2階で、長女たちの部屋ですから、まだ見ていないのです(笑)。


(このブログは、街中の家のノートパソコンで更新できました。デスクパソコンが不調なんです。もう不調の原因も理解できません。サーバーがなんたらとか・・・。)

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梅と桜満開

 春は晴天が三日と続かない、と言われるように雨が多いです。晴れると20℃くらいに上がりますが、雨曇りだとちょっと寒い感じです。

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 つぼみ膨らむと言えば、桜ですが、これは23日くらいで、

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 開花8割くらいから満開と呼ぶそうです。

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 やはり満開はいいですね。30日でした。翌日は雨になりました。

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 内海の家の周りにはノラ猫が数匹来ますので、竹輪を用意してあげています。この白黒と三毛はもう私に撫でさせてくれますよ。竹輪代は交際費ということで。


 今日から4月です。孫の寛太郎君は小学校入学になります。早いものです。


 数日前の新聞の投書欄に72歳の女性の「運転免許証返納」の思いが出ていました。私はそれよりも5年長く運転して来て77歳で、それでもずっと決断できませんでしたが、背中を押されたようで、今年一杯で運転免許証を更新しない決断が強まりました。内海中之郷の町中なのでコンビニや食品スーパーには徒歩や自転車で行けるけれども、山の畑や農場までは遠すぎますが、畑の方は今年中に周りの竹林伐採を片付けることが出来そうです。


 平均寿命まで5年あるし、それ以前に寿命が終わることもあるかもしれないが、もう十分生きてきたという感じです。この歳になると、訪問客もなく、メールも新たには届かないし、スマホはもう持たないようにしていたので、時代の流れには高齢者は乗れなくても普通のこと。それでもこのようにブログだけはなんとか続けて来れました。いつまでできるかわかりませんが、どうぞよろしくお願いいたします。


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