竹細工
竹は山の畑のそばの竹林でいくらでも手に入るけれども、このような竹はどこでも少ないはずです。
まず、根元の直径が14センチもあり、竹の皮の厚さが15ミリあり、この重さが1キロ以上あるずっしりしている。
このような工作で、鉛筆立て、箸立てなどを想定しており、または生け花の器としても使えます。20個以上を作ったと、言っても、ただ切っただけだが、厚くて、工具も揃っていないので、切るだけでも大変でした。
ところが、差し上げた方の反応は半々で、喜んでくれた人もいれば、そうでない人もいました。まぁそれは個々人の価値観や美意識によるものだろうと思いました。でも、材料費はゼロで、私の工賃だけが奉仕です。暇な年寄りなので、時間はたっぷりあるのですね。
インターネット接続不調続く
インターネットとの接続ができないと、わたしの思ったことなどを外に(知人に)発信できないので、私が孤立してしまうような気持になります。パソコンが不安定なのか、それとも電波障害があるのか、それ以上はわからないのですが、8月25日にはこのように通常に発信できました。発信できないときはメールソフトが新たなメールを受け取っていないので、メールソフトを開けばわかります。
ちょっと立ち止まっていろいろ考えてみますね。快調な今の状態がどうしたら持続できるのか、ですね。
文庫本と新書について です。視力が衰えてきて、文庫本の文字が読みづらくなりました。1時間に50ページくらい読めていましたが、これが不安定になっていました。その理由ですが、文庫本の1行の文字数が同じではなく、38文字と40文字の2種類があることに気がつきました。2文字くらいと思うでしょうけれど、比率では5%になるので、この違いは少なくありません。一度、手元の本で文字数を数えてみてください。文庫は小説類が多く、それも最近はスリラー系になって来て、読みづらいです。ただ、文庫は買うことがなく、教授夫妻からのいただきものばかりで、難しいものも多いです。
新書は文字が大きくて読みやすいし、評論ものが多いので、私には合っていますね。
朝から雨
今日は8月18日・木曜日ですが、室内もこのように整理されていて、屋外の玄関先と駐車場も草引きを済ませて広々としています。その周りの公道(町道)の草も抜きました。これでいつも住んでいる家周りは終わったのですが、後は離れた畑の管理です。野菜作りは若い者に任せたので、もうすることがありません。
私が使っているトラクターは倉庫に入れて雨風が当たらないようにしました。
近頃は記憶能力が衰えていると感じます。数年前とか10年くらい前の記憶が遠くなりました。パソコンに入れて置いた情報にアクセスすると、忘れてしまった事柄が一杯出てきますので、過去の記録を削除していいのかどうか迷います。しかし、それらは「邪魔」な情報になっているので、情報整理したいのですが、それから先は判断保留のままです。老化はこのように私の中で進んでいます。みなさんのご経験がありましたら、教えてください。
これは玄関先の地面で、軽ワゴン車がバックで入って駐車するのに、5個が鉄筋で繋がったブロックを立てて端の方に寄せたのですが、メチャ重かったです。腰を痛めたかもしれません。
2022-08-13
余生の過ごし方
ひょっとしたら、今が私の余生ではないだろうか。そのように思うようになったのは4.5日前からで、どうも私は鈍いなぁ。
しかし、今私の周辺は騒がしい。家の内部の改造や補修作業が続いている。3月末からなので、100日もずっとトントンカンカンと釘打ちやノコギリで静かではないどころか、およそ余生にふさわしくない空間になっている。もう数日で終わっるだろうと待っているのだけれど、ほかに身の置き所もない。静かで穏やかな日々に早くなってほしいです。中之郷のこの建物は奥には4部屋があり、そこは板間になった。玄関正面から階段があり、二階にあがれるようになり、古い階段ははずされて二階の2部屋はきれいな畳み敷きのへやになった。さて、そこまでしか頭の中になかったが、ずっと前からの、連れ合いと私とのたった二人だけの住まいとしてはいかにも広すぎるのだが、連れ合いがどう考えているのかわからないし、問うてもすっきりした答えはない。フリーで気ままに過ごしたいだけなのではないかとも。
いずれにしても、あと1,2日で作業は終わるだろう。その後のことはその後で考えよう。
「自分が 高齢になる ということ」 和田秀樹(老年精神科医)新講社ワイド新書 900円+税
購入時点で8万部読まれていたが、10万部は超えているだろう。様々なトラブルに見舞われるのは、アルツハイマー認知症のせいで自分が原因ではないとか、ボケは早い者勝ちなどと素っ気ない言い草もあります。要するに後期高齢者に起こりがちな現象を優しく解説している本なのですが、自分を客観的に観察できる本。
しばらくブログを書いてなくて、なぜか気持ちが乗りませんでした。1日に一つくらい書いても負担ではないだろうと思っていましたが、そうでもないようです。
ひょっとしたら、今が私の余生ではないだろうか。そのように思うようになったのは4.5日前からで、どうも私は鈍いなぁ。
しかし、今私の周辺は騒がしい。家の内部の改造や補修作業が続いている。3月末からなので、100日もずっとトントンカンカンと釘打ちやノコギリで静かではないどころか、およそ余生にふさわしくない空間になっている。もう数日で終わっるだろうと待っているのだけれど、ほかに身の置き所もない。静かで穏やかな日々に早くなってほしいです。中之郷のこの建物は奥には4部屋があり、そこは板間になった。玄関正面から階段があり、二階にあがれるようになり、古い階段ははずされて二階の2部屋はきれいな畳み敷きのへやになった。さて、そこまでしか頭の中になかったが、ずっと前からの、連れ合いと私とのたった二人だけの住まいとしてはいかにも広すぎるのだが、連れ合いがどう考えているのかわからないし、問うてもすっきりした答えはない。フリーで気ままに過ごしたいだけなのではないかとも。
いずれにしても、あと1,2日で作業は終わるだろう。その後のことはその後で考えよう。
「自分が 高齢になる ということ」 和田秀樹(老年精神科医)新講社ワイド新書 900円+税
購入時点で8万部読まれていたが、10万部は超えているだろう。様々なトラブルに見舞われるのは、アルツハイマー認知症のせいで自分が原因ではないとか、ボケは早い者勝ちなどと素っ気ない言い草もあります。要するに後期高齢者に起こりがちな現象を優しく解説している本なのですが、自分を客観的に観察できる本。
しばらくブログを書いてなくて、なぜか気持ちが乗りませんでした。1日に一つくらい書いても負担ではないだろうと思っていましたが、そうでもないようです。
画像は住居を玄関から撮ったものです。家族は私とかみさんだけなので、広すぎて使いこなせていません。(まだ2階もあります)
思っていること、感じたことはいろいろあるのだけど、また次の機会に。なるべく間が空かないようにします。