立木を倒したり...
十日ほど雨が続き、そのあとに激しい残暑が続けば、畑の雑草も伸びてしまいます。今朝その草刈りをするつもりでしたが、9時で35℃ありましたので、作業を延期しました。
地上1mで直径40センチになっています。この木は前にも高い枝を切っていたのですが、雨続きでそのままにしていたら、娘たちがおろしてくれていました。歩道のすぐ横なので、電線ケーブルにかかってどこかにも迷惑がかかっているのです。手持ちの切れないノコギリでは3日もかかりました。幹は途中でも切っていて、ロープで外に倒れないように、支えながら引き倒しました。
その狭い畑の草刈りをしたら、草の底に切ってあった枝や幹が出てきて、枯れ枝と幹の片付けも大変でした。とにかく暑いんです。昨日31日午後6時と今朝9時には35℃ですから、こんな激しい作業を続けたら死んでしまうかも(まぁ、死んでもいいけど楽になるなら)。今度は切った枝を縛ってどこかで燃やすことを考えないと。昔の人間なので、焚火に釜戸に使えるだろうと思ったら、もう台所はそうなっていないし。
ところが、28日の朝、寝違いをしたのか、首が痛くて、「首が回らない、動かない」んで、2日ほど安静にしていて、様子見をしてようやく31日に少しずつ動き出したんです。高齢になると回復も時間がかかるようです。まだ少ししか首が回りません。
ようやく8月末になりました。皆様、ご健康は大丈夫でしょうか。私の方は、なんとか過ごせていますが。夜が暑くて寝られないですね。扇風機やエアコンをタイマーを付けて夜通し回しています。
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私の時間を分けてあげる
高齢化が進むと、気力体力が衰えるけれども、時間はたっぷりありますので、人の役に立つことが出来ればいいなぁと思っていました。
玄関先でノコギリの刃を研いでいると、近所のおばぁさんが通りかかって、「私の鎌も研いでくれんやろか」とおっしゃるので、
「持ってきてよ。そのかわり、お礼も何もいらないから、そのつもりで」
それで4本の鎌を持って来られたのです。しっかりした鎌ですが、錆が裏表に広がっていて、強く研ぐときれいになるのだけど、薄くなって弱くなりそうなので、刃の当たりだけは錆が残らないように研ぎましたよ。
2日後に引き取りにいらして、すっかり喜んでくれましたが、お礼にカステラを1本持ってきてくれたのです。
いらないって、言ったのだけど、そこまで突き放しては却って失礼だと思い直して、有難く受け取りました。
まぁ今のところ、農道の草刈りなどもやれていますが、私が刈っていない場所が草刈りされていました。いいですね。
雨続きで、そんな作業もできませんが、高齢でも経験は豊富なので、たいていの農作業はできるので、勝手にやっています。請われないのに厚かましく指導したりはしません。
降り続く1週間
各地で水害が出ていて、いつもの年ではこんな災害はなかったような被害です。川が氾濫し、家屋や自動車まで流されたり、倒伏しています。雨続きの1週間は朝から晩までずっと降っていることを指しています。
これはヤマユリで、鉄砲百合ではありません。自家菜園や庭や垣根の中から花が出ています。野生種で、とても強く、種から飛んで発芽しているようです。種はメシベが子房になって太り、その中にできます。特にきれいだということもないけれど。野草としては立派です。
雨ばっかりで、読書程度しかできませんが、夜に読み始めると、頭が冴えて寝られず、4時半くらいまで起きていたこともあります。小説ばかりでも飽きるので月刊誌を買ってきました。 昭和30年あたりではこんな事変や戦争をくりかえしていた記憶があります。文春とくらべるとリベラルで、読みやすかったです。
「中央公論」9月号を読もうとしたのは、昭和の事件の再確認したかったこと、その中に上の広島長崎の被曝があります。
このアメリカの1945年8月原爆投下の遠因が、1940年9月の日独伊三国軍事同盟の成立にあるという記事。「アジアの小国が東アジアの端のほうで、なにか領地争いをしている」というのが、それまでのアメリカの見方だったけれど、欧州の後発組のドイツ、イタリアとの同盟などという欧州を巻き込む動きがアメリカの虎の尾を踏んだのではないのか、と言う視点です。真珠湾奇襲なども含めて、大国アメリカと交戦するなど、地理的歴史的認識がおかしいが、軍部や特高警察を抑える反権力的批判勢力が日本にはなく、文民支配政治はとっくに弱体化し、陸軍大将・東条英機が首相でもあったし。そもそも、今で言う言論の自由が存在しなかった。
あと一つ。
日本国憲法の草案が、新たに発見されたアメリカ進駐軍の資料にあるというものだ。これまでは国内で憲法制定が進められ、その中心は、吉田茂首相と東条英樹で、アメリカ軍からの草案とは伏せられていたと。「平和憲法」の 戦争放棄、軍隊を持たない、などという柱が米軍の草案にあるのなら、ずいぶん憲法の質は変容するが、当時の世論は革新勢力を含めて、歓迎の意向で、そこまでの露骨な勝戦国の干渉とは思わなかったようだ(一部にそういう見解もあったが)。戦後もしばらくはアメリカの非人道的な爆弾投下、マッカーサー元帥と天皇の会見などが続き、国の再建の話題も遠かった。
このアメリカの1945年8月原爆投下の遠因が、1940年9月の日独伊三国軍事同盟の成立にあるという記事。「アジアの小国が東アジアの端のほうで、なにか領地争いをしている」というのが、それまでのアメリカの見方だったけれど、欧州の後発組のドイツ、イタリアとの同盟などという欧州を巻き込む動きがアメリカの虎の尾を踏んだのではないのか、と言う視点です。真珠湾奇襲なども含めて、大国アメリカと交戦するなど、地理的歴史的認識がおかしいが、軍部や特高警察を抑える反権力的批判勢力が日本にはなく、文民支配政治はとっくに弱体化し、陸軍大将・東条英機が首相でもあったし。そもそも、今で言う言論の自由が存在しなかった。
あと一つ。
日本国憲法の草案が、新たに発見されたアメリカ進駐軍の資料にあるというものだ。これまでは国内で憲法制定が進められ、その中心は、吉田茂首相と東条英樹で、アメリカ軍からの草案とは伏せられていたと。「平和憲法」の 戦争放棄、軍隊を持たない、などという柱が米軍の草案にあるのなら、ずいぶん憲法の質は変容するが、当時の世論は革新勢力を含めて、歓迎の意向で、そこまでの露骨な勝戦国の干渉とは思わなかったようだ(一部にそういう見解もあったが)。戦後もしばらくはアメリカの非人道的な爆弾投下、マッカーサー元帥と天皇の会見などが続き、国の再建の話題も遠かった。
海景色・老眼鏡
ミカン畑・雛鶏舎の草刈り
8日は朝9時前から38℃くらいあって、何もしないでも汗が出ます。テレビで北海道での五輪男子マラソンの実況が出る。この暑さでは無茶だと思いますが、それ以上の感想を言葉にできません。日本列島の太平洋岸にはトリプル台風があって、朝から強い風で暑さを少しはしのぐことができています。
ようやく、草刈りが一段落しました。
前回のブログ画像と比較すると、雑草の処理が進んだこともわかります。
雛鶏舎の草刈り、金網へのツル処理
でも、今日の作業はやりません。暑くて注意力が散漫になり、集中できないから、何が起こるか自信がないです。みなさまもこの暑さでは無理なさらないように。
私もここまでよく片付けたよ、と思っています。
ミカン畑の整備
8月3日は朝から雨になりました。太平洋岸に3つも熱低があり、日本海には高気圧があるので、天気は不安定なことはわかっていました。これまでが炎天続きでしたので、野菜畑には助かりました。ただ、熱低は台風候補生なので、この後、どうなるでしょうか。
4日。昨日は,その予報もあって、ミカン園の草刈りを夕方までに済ませました。今年からミカン畑の草処理のやり方を工夫してみました。1)苗木の根元を直径1mの範囲で草引きをして、そこに30センチくらいの厚さで枯れ草を積んだ。これは根元に草を生やさないためと、地面の乾燥を防ぐためだ。そして、2)その外周りに幅1mの円環を想定して、そこも草引き(根も抜く)して、それ以外は刈り払い機草刈りをする長期的な作業計画です。
6月半ばにセイダカ泡立ち草が1mを超える高さに伸びていたので、1)の場所にその枯れ草を積んだ。これだけでも見通し風通しがよくなっているのだが、7月の半ばまでにはツユクサが30センチくらいの高さで繁殖していたので、これも根を抜いて、根元の枯れ草の上に重ねていった。2)のミカン苗の外回り円環も更地になったので、それ以外の場所は刈り払い機で刈っていった。この作業を終えたのが8月2日ですから、2か月かかったことになり、時期によって雑草の種類が替わっていくこともわかりました。おしまい頃にはイノコヅチや野生のアサガオも生え始めていました。炎天の連続でしたので、草引き作業も1時間とはつづけられません。ので、時間がかかったのです。
この後はどういう変化になるのだろうかと予想するに、夏から秋冬にかけては背の高い雑草は生えないから、作業は楽だろうと思っています。
その前に、下の畑を更地にして、堆肥散布、それから有機石灰を散布、
それにしても激しい暑さです。炎天が続くと、農作業は朝夕1時間も続けられません。日陰は涼しいのですが、休むのなら戻ればいいのだし。
皆様、ご健康に気をつけて。高齢者の自分が言う言葉ではないですね。